「親になる実感」を探すより、これからの生活で積み上げていくもの

言の葉ログ

賑やかな原風景と、結婚・育児への距離感

兄弟が多かった。

しかも長男ということもあり、何かと弟たちの世話を自分なりに家の手伝いをしてきた方だと思う。時に仲裁役だったり、相談役だったり、それが普通のように、いや日常だったから比べるもなにもないか。

それからもう何十年と過ぎ、皆それぞれ生活している今日。連絡を取ることも少なくなるが年に1、2回は会う機会もある。小さい頃の日常やイレギュラーな思い出は色褪せても覚えている、が自分が仕事し始めたぐらいから、もうほとんど記憶がない。

元々小さい頃から結婚願望はなかった。結婚がいいものとは思える、子供生活ではなかったからというのもあると思う。細かくは覚えていないが頻度は少ないものの両親の喧嘩はあったし、暴力沙汰とかはないけど、親父の威厳はそこそこあったからか、そういう構図が多かった。これについては、バブル崩壊の影響もあるだろう。

だから、自分が子供の親になるということも全く考えていない。想像ができていない。今のところ。

「自分ごと」になると消えてしまうリアリティ

しかし2024年に縁があって結婚した。かといって前々から共同生活をしていこともあり、婚後も生活に違いもなく、まぁ節目のようなものだよねという感覚が拭えなかった。

そんな自分が今年、親になるかもしれない。

だが、残念なことに全く実感が湧かない。

もちろんまだ産まれてないのだから、実感も何もないのが普通だろう。俺がお腹を痛めて産むこともないので、ますます実感は湧きにくい。

この手で抱けば、湧くのだろうか。そうこうしているうちに、結婚したという実感も湧いてくるのだろうか。

初めての海外旅行ですら、実感が湧かなかった自分。少しおかしいのかもしれない。


なにか感情のタガが外れてしまっていて、ちょっとやそっとの出来事では感情が揺れない、強靭な心なのか、さもなくば、何も響かない硬く冷たい心か。
どちらにせよ、テレビアニメとかじゃすぐ琴線やられてウルウルするくらいなのだから、感情移入は得意。想像力もある方だと思う。
しかし自分ごとになると突然リアリティが欠落する感覚に陥る。なんか響かないのだ。これはどういう事なのだろうか。

本来、自分の出来ことは自分にしか体験できないという点において、唯一無二であることは間違いない。その存在の出来事なのに、感情の振れ幅が極端に短い。

・・・子供の頃、なんかショッキングな出来事あったりしたっけか???
で、本人は忘れているパターン、みたいな。

生活の中で時折フラッシュバックが起こり、断片的な記憶が幾つも思い起こされ、ついにはその時知り得なかった真実の糸口に繋がり、隠されていた本当の力が目覚め始める…!

みたいな。

「実感」を探すことと、「幸せを感じる能力」

そんなよくある転生モノの物語のような話は120%あり得ないだろうけど、あるなら欲しいくらいだが、それにしても実感はいつやってくるのかということだ。

よく聞く話だけど、こういうものは受け取り手にそういう器がなければ、感じられにくいし、認知しにくいっていう。幸せを探そうとしても、そもそも幸せがなんなのかの定義が曖昧のままでは、どこ探しに行っても見つからない。そういうのを探すんじゃなく、幸せを感じる能力を鍛える方がよっぽど日々幸せになれたりする。

今ある幸せ。結婚した幸せというのは、結婚しなきゃ…というジリジリと圧をかけてくる親からの願いというか、世間体というか、そういうものからの開放されること、それが結婚の幸せの一つになるかもしれない。

もちろん、好きな人と一緒になれるというのが一番の理由だろう。おっと話が逸れた。

日々の積み重ねの先に、意味を創り出していく

結局のところ、子供が産まれてもすぐに実感は湧かないと思う。これは仕方ない。だけど、産まれてから実際に生活していく中で、経験や苦難や喜びを経て、結婚、親としての実感も少しずつ蓄積していくのではないだろうか。

というかそうなってくれたらいいな、という楽観的願望。

意味は自分で作るもの、探すもの、求めるものだ。この価値をどう自分に感じさせるか。それは俺が一番知っているはずだ。

歳を重ねる毎に、心も熟成していく、そんな人生を、毎日を、過ごしていくことが、そして死ぬ時に、良き人生だったと、思えるように、今この一瞬、選択を、しっかりとして行動していきたい。

タイトルとURLをコピーしました