大切にしたいという想い

日々のこと

基本的にモノに執着が無い方だと思う。機能面的に同じであれば、見た目はシンプルがいいし、値段も安い方を選びがち。
もし悩んで選ぶときは、長期利用が見えているモノ、QOLが上がるもの、値段が高いモノだ。
必要ないモノは減らしたいって思うし、兼用できるのであれば、これもまた減らしたいという考え。モノへの執着に対して嫌悪感があるからだと思う。

「安かろう悪かろう」
そんな言葉もあるが、日本という国における品質は世界から見ても「ジャパンクオリティ」という言葉もあり外国からしたら定評がある。
つまり安くてもそこそこの品質になっているのが大半だ。

価格で決めるわけではない。しかし価格に見合っているかどうか、その価格を品質と等価と感じるかは人それぞれ。
その判断基準が自分は人より厳しいのだと思う。

なのでその判断と違う選択をしている自分がいると、ちょっと素直に喜べない。直近だと、普段使いのデニムのパンツ。いつものローブランドとは違う、少し高めのブランドのパンツを購入するのにかなり迷った。
だって、パンツだぜ?この金額のパンツ買うお金で、いつものパンツ10枚は買える。
確かに生地も厚みがあって、レガシーもあるのだろうけど、そこに価値を見出せてない。
パンツじゃんって思ってしまう。

もちろん、物は大事にするから長持ちさせるのは一緒。でも、取り扱いの部分で、気持ちが揺らぐ。
「あれ、これ高かったしな…」というのが頭をよぎってしまう。そんな事で頭のエネルギーを使いたくもない。

でも、人によっては「ちゃんとした服装」かどうかをいちいち悩むのがめんどくさい。ハイブランドにしておけばその辺の心配が減る、という考え方もあるんだろう。

結局、個人の価値観の問題。その価値観とは、環境の違いであり、育ちの違いである。

なので、大切にしたいという想いも、言葉では一緒でも、想いの重さまで一緒とは限らない…限らないではなく一緒ではないはずだ。

でも、それでも想いは想いだ。重さで計るものではないし、そもそも計ることがナンセンスなんだろう。
なんだろう、この「人ぞれぞれ」を容認しつつも、でもある程度の世間体「常識」に縛られる矛盾は。
その時々によって揺らぐ世間体に、これからもどれだけの人がどれだけ踊らされていくのだろうか。

この一連の流れは、人が人である限り終わらないんだろうね。

「物が人生を豊かにする」は、物が溢れる今の時代も一緒だ。思い出も感情も記憶に、モノが重要。

結局のところ、それが分かったうえで自分はどう判断して、捉えていくかの問題。他人に決めてもらう事ではない。

こんなことを妻のカバンから見えた「赤ちゃん手帳の包み」をみて思った、今日この頃。

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